ひまわりのブーケとイーストボーンピア。

 

これは、私とイタリア人の親友の話。

人生の中で、大切な宝物の一つでもある。

 

私は今までの人生において、ラテン系の人々とはなぜか馬が合うことが多く、なぜか縁があることも多い。

その中でも、イタリアは特別に大好きだ。
※ブラジルには申し訳ないが・・・

 

今日までに、イタリアに行った回数はもう覚えていない。

せっかくブログに「旅」のカテゴリーを作ったので、今日までずっとアナログ式の日記に書き溜めてきたものを、少しずつ記事にしていこうと思う。

 

記念すべき1記事目。

それは冒頭でも書いたが、私のイタリア人の親友、一つ年上のBenedetta(以下Benni)の話。

 

 

Benniとの出会い

Benniとは、留学のホームステイ先で出会った。

 

私が滞在したのは「イーストボーン」という小さな町で、イングランドの南部イーストサセックス州にある。

ビーチヘッドやセブンシスターズなどで知られる、海岸沿いのリゾート地だ。

 

 

当時は「老人ホーム」と揶揄されるほど、住民の年齢層が高く「治安が良い」と言われていた。

 

幼少期から海が好きだった私は、「治安」「海」、この条件だけで留学先をこの土地に決めたのを覚えている。

 

私がイギリスに到着して2カ月たった頃、すでに1年間滞在していた韓国人のハウスメイトが帰国し、ほどなくして、イタリア人の留学生が代わりに来る、とホストマザーに聞いた。

 

それがBenniだ。

 

彼女とは、初めて会った日から、なぜか、すぐに仲良くなれる気がした。

 

・・・そしてその勘は当たっていた。

 

私はホストマザーに頼まれて色々と家のことを説明することになったのと、年齢も近かったことから、本当に15分くらいで打ち解けた。

 

ドライヤーの電圧がどうとかなんとか、イギリスのパンはまず過ぎるとかなんとかかんとか。

そんな話を、到着した日から一緒の部屋で語ったのを覚えている。

 

1年間滞在していた韓国人のハウスメートともうまくやっていたと思うが、年上の韓国人女性の心を開くのには、1か月の時間を要した。

通っていた語学学校の友人達ともそれなりにうまくやっていたんだろうけど、やっぱり自分の気が付かないところで、気を遣っていたんだろう。

 

そんなことに気が付くほど、Benniと会話をするのはラクだった。

私にとってBenniは、本当に気を遣わずに仲良くなれた、初めての外国人の友人だったのだ。

 

お世話になったホストファミリーの老夫婦は優しい人達ではあったものの、とてもこだわりが強く神経質だったため、基本的にガサツな性格の私は、日頃から「面倒だな・・・」と思うことがちょくちょくあった。(笑)

それはBenniも同じだったようで、通学途中や、授業が終わった後によく通ったカフェで、ホストファミリーの愚痴をこぼしたりしていたものだ。

 

当時の私たちは、後ほど「なぜ、お互いコミュニケーションが取れたのか分からない」と笑いあってしまうくらい、英語力が悲惨だった。(笑)

それでもなぜかBenniとは、完璧にコミュニケーションが取れた。

 

会話の中には、常にイタリア語と日本語という、なんの共通点も無い単語が頻繁に入っていたのにも関わらず、だ。

私が「言語はただのツールだ」と心から確信するきっかけは、彼女にある。

 

 

イーストボーンピアへ

たくさんある彼女との思い出の中で、最も気に入っているのが「夜中の散歩」だ。

 

・・・あれは何かのパーティの前夜(内容は覚えていない)、それこそ夜中。

 

この日、ホストファミリーが夫婦そろって旅行に出かけていたため、私たち2人しか家にいなかった。

自由にテレビが使えた私たちは、学校から借りてきたディカプリオの映画「The Aviator」のDVDを、字幕なしで観てみよう、という話になった。

 

・・・さて。放映。

 

どんな映画に出演していても常に「ディカプリオ役」である、彼の演技が始まる。

・・・ハリウッド版「キムタク」とは彼のことなのかもしれない。

 

開始から30分で、私たちは同じコメントを放った。

 

「つまんない」

 

英語が分からないということでもあったが、そもそもあの頃の私たちには、画面越しでフラフラと動く、繊細で気難しく、病的で美しい主人公に感情移入をすることが出来なかったし、理解もすることも出来なかった。

 

当時、私たちは19歳。

Love ActuallyやValentine’s Dayのような映画を選べばよかったねと、一緒に後悔した。

 

でも19歳とは、最強の年齢でもある。

この退屈でつまらない映画でさえ、それ自体が楽しくて、おかしくて、ちゃんと観ていないのに笑い転げていたのだから。

 

観るものが無くなった私たちは、ホストファミリーが毎週購入している高級チョコレートを一つずつ盗んで、なぜか、外を歩こうという話になった。

 

時計は既に、23:00を回っていたのを覚えている。

 

当時のイギリスは、室内での喫煙が前面的に不可になる法律が施行されたばかりで、バーが閉まる時間も決まっていた。

それを過ぎると、若者はだいたい、ナイトクラブに流れる。

 

私たちが家から出た時間は、ちょうど、酔っ払いたちが全員クラブに移動した後だったのだろう。

人の気配が無かった。

 

治安の良いイタリアの田舎町出身のBenniと、国全体が「治安が良い」として有名な日本出身の私。

 

今だったら、どう考えても危険過ぎる行為だろう。

未成年の若い女性二人組が、無防備な状態で夜中を歩き回るのだから。

しかもここは、私たちの育った町ではない。

 

それでも私たちは、危機感を抱くことも、難しく考えることもなく、ただただ、歩きたいから歩く。

義務、責任、重圧なんて、何もなかった。

ノリと勢いだけで、感覚的に動いていた。

もちろんシラフで。

 

海から徒歩10分のところにある家だったので、玄関から出た時、夏だというのに体中がヒヤッとした空気に包まれる。

それがとても気持ちよくて、日本の夏もこんな感じだったら良いのに、と恨めしく思った。

 

私たちは道中、お互いの将来の夢とか、家族のこととか、理想の彼氏とか、クラスの嫌なやつとか。

そんな話をイタリア語混じり、日本語混じりの英語でしている間に、ビーチに着いた。

 

200mくらい先に、観光名所にもなっているイーストボーンピアが見える。

ここに滞在してから、もう何度も訪れた場所だ。

 

でも、夜、明かりの灯ったイーストボーンピアは、日中に見せる姿とは全然違って、とても綺麗で・・・何というか、色気があった。

 

・・・この先端には、ナイトクラブがある。

酔っぱらった若者たちが、こぞってここで踊り狂っているらしい。

 

私たちはピアに向かって、走り出した。

「競争」という名目で。

・・・お互いに全力だった。

 

Benniは私よりも背が高く、器械体操もやっていたので、運動神経が良い。

・・・ただ、私も運動には自信があったから、文字通り、真剣勝負。

 

ビーチを全力で走るのは、想像してたよりも大変な仕事だった。

それでも、ただただ、楽しかったのは確かだ。

 

普通の女の子の青春とは、このことを言うのか。

 

中学から高校まで、ガチガチのスポーツクラス環境にいた私は、走りながらそんなことを考えていた気がする。

 

そして僅差で、私が先にピアに着いた。

・・・やはり勝負は勝たなくては。

 

ふと見上げた先には、遠くから見えたような色気を放つ神秘的な姿とは違い、とてもリアルな光景が広がっていた。

 

ナイトクラブで出会ったであろうカップルがイチャイチャしていたり、酔い過ぎて倒れている人がいたり。

なんだかよく分からない理由で、殴り合いをしている男性がいたり。

爆音で流れるクラブミュージックの音が外にまで聞こえていて、重低音で地面が少し揺れていた。

 

少し怖くて、滑稽で、鬱陶しいほど大人の世界。

 

19歳だった私たちは、急に現実に戻されたような気がして、結局そのまま帰ることにした。

 

・・・まぁ、19歳は子供でもないのだが、そもそも恋愛にそこまで重きを置いていなかった私たちの価値観に、ナイトクラブの光景は、粋とは言えなかった。

 

帰り道に何を話したのかはよく覚えていないけど、きっとたわいもない話をしていたんだと思う。

 

・・・あぁ、思い出した。

やっぱり映画は、Love Actuallyにすればよかった、と話したんだった。

 

「22:00までに帰宅」という門限のあるホームステイ先だったから、ホストファミリーがいたら絶対に出来なかった「夜中の散歩」は、私たちの留学の良い思い出になった。

 

海沿いの町の夜は、夏でも冷たい風が吹く。

夜のピアは、遠くから見るに限る。

 

今思えば、少し考えれば当たり前に思いつくそんなことも、その時、実際に肌で感じた大切な教訓である。

 

そんなBenniは、その2週間後イタリアに帰ってしまった。

もともと1カ月ちょっとの滞在予定だったから、彼女が先に帰ることなんて最初から分かっていたのだけれど。

 

残りの3カ月をBenni無しで過ごすことになると実感が湧いたのは、電車に乗った彼女を見送るとき。

その時はお互い、号泣していた。

 

彼女は家を出る際、私に花束をくれた。

実は私も、彼女に花束を用意していた。

 

・・・驚いたことに、私たちは同じ「ひまわりのブーケ」を、同じ花屋さんで買っていたのだ。

これには本当に驚かされた。

さすがにホストマザーも驚いていた。(笑)

 

 

どこまでも馬が合う友人は、日本人だけではない。

 

 

 

・・・今、彼女は、彼女の夫と一緒にスイスで暮らしている。

私たちは、いつも連絡を取り合う仲ではないけど、私が「イタリア」を語るとき、Benniはいつでも最初の話題になる。

Benniが日本を語るとき、私が最初の話題になる。

そういう関係だ。

 

年に一度、交換をしているはがきに、彼女が今妊婦である、と書かれていた。

次のはがきには、彼女達夫婦と、新しい家族の笑顔が見られるだろう。

 

そしてこれからもきっと、私がイタリアを語るとき、Benniは最初の登場人物になるんだろう。

 

 

あとがき

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Benniとの思い出は、私の人生の中でも本当に大切なものの一つです。

 

私が海外で生活することにあまり恐怖を抱かないのも、日本人女性にだけ特別に優しい、ちょっと違和感のある外国人男性に舞い上がらないのも。

全てBenniのお陰だと思っています。

 

Benniは意図せずとも、初めての長期海外滞在でそれまで周りに気を遣いまくっていた私に、「ビビらなくていい」「自分のままでいていい」そんなことを教えてくれた。

「気の合う人物は決して日本人だけではない」「外国人と話していても、気を遣わず、自分らしくいてもいい」という自信をくれた。

 

それほどまでに、等身大の、同性の友人の存在は、私に自信を与えてくれた。

 

実はこの後、私たちはお互いの国で再開を果たすことになります。

最初は、私が初のイタリア一人旅で彼女の実家へ足を運び、その2年後、Benniは私の実家に遊びに来たのです。

この話はまた、今度別の記事にしようかな。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です